父を許せなかった女子プロレスラー・ダンプ松本が語る家族の絆と憎しみ

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幼少期の家庭環境と父への憎しみ

ダンプ松本、かつて「いつか殺してやる」と強く思い続けた父親との関係は、彼女の人生の根底にある苦悩の一つでした。彼女が育ったのは、風呂もなく、共同トイレが当たり前の4畳半のアパート。家族4人がその狭い空間で肩を寄せ合いながらも、温かい家庭とは程遠いものでした。

彼女の父親はほとんど家におらず、家に帰ってきても酒に酔い、母親に暴力を振るう姿が幼いダンプ松本の心に刻まれました。彼女は「お母さんが疲れた顔をしているのは、全部父のせいだ」と思うようになり、その憎しみは日々強まっていきました。特に記憶に残っているのは、父親が愛人宅に通いながら家庭を放置し、生活費も入れず、苦労する母親の姿です。子どもながらに、「いつか父を倒してやる」という決意が彼女の心に芽生えました。

父親は、家にいる時間こそ少なかったものの、母親に対する怒りを爆発させることが多く、ダンプ松本の心には常に恐怖が付きまといました。ある日、父親がバットを持って母を追いかけ回している光景を、窓の外から見た幼いダンプ松本は、家族の中で自分が強くならなければならないと感じました。幼少期から「母を守りたい」という感情が彼女の原動力となり、それが後にプロレスラーへの道を選ぶ大きな要因となったのです。

プロレスラーを目指した理由

ダンプ松本がプロレスラーを目指した背景には、幼少期の家庭環境が大きく影響しています。「強くなりたい」「お金持ちになりたい」という思いが、彼女をプロレスの世界へと駆り立てました。彼女の家庭は非常に貧しく、母親が一人で家計を支えていましたが、その負担は大きく、生活は厳しいものでした。父親が働かないことで、家族は常にお金に困り、母親は疲れ果てていました。そこで、ダンプ松本は「自分が稼いで母親を助けたい」という強い思いを抱きました。

その決意が、彼女を19歳で女子プロレス界に送り込みます。1980年、全日本女子プロレスに本名の松本香としてデビューを果たし、プロレス界に飛び込みました。女子プロレスラーという職業は、強さとお金の両方を手に入れることができるもので、彼女にとって理想的な選択でした。プロレスラーとしての道は、自分が父親に対して抱いていた怒りや憎しみを晴らす手段でもありました。

プロレスの世界に入ったダンプ松本は、母を支えるための戦いと、自分自身の強さを証明するための戦いを同時に続けることになります。「母を守るために強くなる」という使命感は、彼女が困難なプロレス業界で成功を収めるための強い原動力となりました。

悪役レスラーとしての成功と孤独

1984年、ダンプ松本は「極悪同盟」を結成し、悪役レスラー(ヒール)としての道を歩み始めます。彼女はヒールとして、女子プロレスの人気を爆発的に高め、クラッシュギャルズとの対決を通じて一世を風靡しました。「ダンプ松本」は、観客から嫌われる存在であり、そのことを誇りに思っていたと彼女は語ります。

リングを降りた後も、彼女は常に「ダンプ松本」であろうと心がけました。道を歩いているときも、サインを求められたときも、彼女はヒールとしてのキャラクターを崩すことはありませんでした。これは、悪役を全うするためのプロ意識であり、同時に周囲からの孤立感を強めるものでした。

パチンコ屋が唯一、彼女にとって「普通の人間」として過ごせる場所でした。そこでは、誰も彼女に話しかけることなく、彼女自身も自分がダンプ松本であることを忘れられたのです。その孤独と安らぎが、彼女の心を支える数少ない時間でした。

父との断絶と最期のやりとり

ダンプ松本が父親と心を通わせることは、生涯にわたってほとんどありませんでした。彼女が高校生の時から、父親とはまともに話すことがなく、45年以上も会話らしい会話がありませんでした。彼女がプロレスラーとして成功し、「ヒール」として世間から憎まれ、恐れられる存在になったとしても、父との関係は変わりませんでした。

父親が認知症を患い始めたのは2019年ごろのことでした。認知症が進行し、以前のように強く当たることができなくなった父を前にして、ダンプ松本の心には変化が生まれました。それまでの憎しみや怒りが薄れ、「かわいそうだ」という同情の気持ちが芽生えたのです。父親との関係が修復されることはなかったものの、彼女の中で少しずつ感情が和らいでいきました。

しかし、それでも完全に許すことはできませんでした。父親が認知症になっても、彼女の心に残る深い傷は癒えることがなく、最期の会話も彼女がカレーパンを食べさせたときの短いやりとりが最後となりました。「心から許したことはなかった」というダンプ松本の言葉には、父親に対する長年の感情が込められています。彼女は、メディアで父を許すよう促される場面もありましたが、心からの許しには至らなかったと語っています。

母への想いと今後の人生

ダンプ松本にとって、父親への憎しみとは対照的に、母親は彼女の人生の支えとなる存在でした。プロレスラーとして成功した彼女は、稼いだお金で母親に家を建て、仕送りもしていました。母親に楽をさせたいという強い思いが、彼女のキャリアの原動力であり、プロレスという厳しい世界で戦い続けるモチベーションになっていました。

しかし、家を建てた際には、父親もその家に同居することになり、ダンプ松本は複雑な感情を抱えました。「男手があった方がいい」という理由で父も一緒に住むことになったものの、彼女と父との間には和解の道はなく、関係が良好になることはありませんでした。彼女自身も「お父さんが嫌いだったから、あまり話したくなかった」と正直に語っています。

また、母親との関係では、母がダンプ松本の未来を心配していることがしばしば話題に上ります。母親は「自分より先に香が死んで欲しい」と言うほど、彼女の将来に不安を抱いていました。普通であれば、親が子どもの死を望むことはありませんが、母はダンプ松本が自分の死後にどれだけ孤独な人生を送るかを心配していたのです。この言葉に対してダンプ松本は、「母が幸せであることが、私にとっての幸せ」と答え、母親を大切に思う気持ちは今も変わりません。

結婚しない理由と家族に対する考え方

ダンプ松本が一度も結婚を考えたことがない理由には、父親との関係が深く影響しています。彼女は父親のような男性と結婚してしまったら、自分も母親と同じような苦しい人生を送るのではないかという恐れを抱いていました。結婚に対して常に不安があり、どんなに好きな人ができても「この人と結婚しよう」と思ったことは一度もないと言います。

「結婚しても相手が変わるかもしれない、騙されるかもしれない」という恐れは、彼女の心の中で常に影を落としていました。彼女は、家族を持つことに対して慎重な姿勢を取り続け、結婚に対する興味を抱かないまま現在に至ります。父親との複雑な関係が、彼女の家族観に大きな影響を与えていることは明白です。

許しの難しさと人生の総括

「許し」というテーマは、ダンプ松本の人生において避けられないものでした。父親を最期まで許せなかった彼女は、それでも少しずつ感情が和らぎ、父を「かわいそうだ」と感じるようになりましたが、心からの許しには至りませんでした。「心から父を許すことはなかった」と彼女が語るように、長年にわたる憎しみや怒りが、簡単に解消されることはなかったのです。

それでも、彼女の人生において最も大切だったのは母親でした。母親を守り、彼女を幸せにするために、プロレスラーとして戦い続けたダンプ松本。母の幸せが、自分自身の幸せだと感じるその思いは、彼女の人生を貫く一貫したテーマでした。

現在もプロレスラーとして現役で活躍するダンプ松本。彼女の背後には、家族に対する強い思いと、それに伴う複雑な感情がありました。父親を許すことはできなかったものの、母を守るために戦い続ける彼女の姿は、多くの読者に感情的な共感を呼び起こすでしょう。

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