ビューティ・ペアという名前を聞けば、多くの人が70年代の女子プロレス黄金時代を思い浮かべるでしょう。当時のスター、マキ上田とジャッキー佐藤は、リング上だけでなく、歌手としても絶大な人気を誇りました。しかし、その華やかな成功の陰には、多くの葛藤と苦悩が隠されていました。今回は、ビューティ・ペアの成功と解散の理由、そしてマキ上田の引退後の驚くべき人生についてお届けします。
ビューティ・ペア誕生とその成功
マキ上田とジャッキー佐藤が出会ったのは、全日本女子プロレスでのこと。プロレスを始めたばかりのマキ上田は、鳥取での生活から離れたいという強い思いと、父の勧めにより16歳でプロレスの世界に飛び込みました。
ジャッキー佐藤とのタッグ「ビューティ・ペア」を結成したのは1976年のこと。彼女たちは試合だけでなく、歌手としても活動し、「駆け巡る青春」は80万枚を売り上げ、ビューティ・ペアの名前を全国に知らしめました。彼女たちは単なるプロレスラーを超えた存在となり、女子中高生を中心に絶大な支持を受け、会場は常にファンの歓声で満ちていました。
ビジネスの成功と二人のすれ違い
しかし、華やかな表舞台の裏では、二人の間に深い溝が生まれていました。ビジネス的な理由で結成された二人は、性格が真逆だったため、プライベートでの交流はほとんどありませんでした。社交的で明るいマキ上田に対し、ジャッキー佐藤は孤独を好むタイプ。特に、ジャッキー佐藤が恋愛にのめり込み、仕事に影響が出始めたことが二人の関係に大きなひびを入れました。
ついには、マキ上田が解散を希望し、社長に直接訴えた結果、1979年にシングルマッチで負けた方が引退する形でタッグを解散することが決定されました。この試合でジャッキー佐藤が勝利し、マキ上田はプロレスの世界から引退しました。
引退後の二人の人生
マキ上田が引退を決意した背景には、母親の死や、自身の怪我の影響がありました。試合中に大怪我を負い、それでも注射で痛みを抑えて試合を続けた経験から、「女性が長く続ける仕事ではない」と感じるようになったのです。
一方、ジャッキー佐藤は、1987年に神取忍との試合で初めてギブアップ負けを経験し、それをきっかけに引退を決意しました。この試合は「喧嘩マッチ」として語り継がれるほど激しい内容で、二人の間に積もっていた緊張が爆発したものでした。
マキ上田の現在—驚きの夫と生活
引退後のマキ上田は、地元鳥取でスナックを経営しながら静かな生活を送っていました。しかし、48歳のとき、浅草で釜飯屋を営む男性と結婚。その男性はマキ上田の大ファンで、頻繁に彼女の店に通ううちに交際が始まり、結婚に至ったのです。
現在、マキ上田はその夫と共に東京で釜飯屋を経営し、夫婦仲良く店を切り盛りしています。彼女は自身の子供を持たなかったものの、夫の前妻との間に生まれた息子たちと家族となり、新しい生活を楽しんでいます。
結論
マキ上田とジャッキー佐藤、ビューティ・ペアとしての輝かしい活躍は、多くの人にとって今も記憶に残るものでしょう。その後の二人の異なる道—プロレス引退後の葛藤、そして新たな人生への挑戦—は、彼女たちの強さと人間らしさを象徴しています。それぞれが選んだ道で、今も輝きを放つ姿に、私たちは心からのエールを送りたいと思います。